元・バイクの整備士の知識、公開します。

レッドバロンの新入社員研修は凄い

2020/02/17
 
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mecha_blo
元・バイクの整備士→現・自動車の開発に携わっています。 70年代国産車(いわゆる旧車)専門のメカニックを経てドゥカティのディーラーで勤務。 キャブレターから最新の電子制御まで、幅広い分野の知識を持っています。 全てのバイク乗りにお役立ちの情報を公開します。

私は16歳から自分のバイクを整備して、自己流で整備のスキルを磨きました。
そして2005年、21歳でレッドバロンに就職し研修を経てプロの整備士の道を歩みました。

バイク業界で整備士の研修を基礎からしっかり受けることができるのは、この会社だけでしょう。

今回は過去に在籍した経験からレッドバロンという世界最大のバイク屋さんについて投稿します。

バイク業界への就職を検討している方、レッドバロンには悪評判しかないと思っている方は是非ご参考ください。

レッドバロンという会社について

日本で唯一テレビCMを流し、全国に店舗を構えているので、業界では有名なバイクの会社です。

その店舗の多くはフランチャイズでなく直営で、社員数はバイク業界としてはトップクラスの2,000人以上を誇る大企業です。

確かに色々と気になる評判のある会社ですが、それは規模が大きい分個々の社員の仕事ミスが注目され易いからです。

失敗は、どの会社にもあります。

お店に居ると、「チャッチャラ~」とラッキーチャンス的な効果音がひっきりなしに鳴りますが、それは全国の何処かの店舗でバイクが売れたことを従業員に知らせるものです。営業マンに「皆んな売ってるんだから頑張れよ」というメッセージが込められています。

全国に直営店があるということは、どの地域でも同じサービスを受けられるということ。ツーリング先でトラブルがあっても安心無料でレッカーでき、そのまま修理して貰えるのが強みです。これは世界が広くてもレッドバロンにしかできないことです。

以前、オイル交換するのに廃油を使い回しているという噂がありましたが、あれは嘘です。オイルタンクの清掃が出来ていない店舗が有り、尾鰭がついたのが原因です。

ただし、オイルのグレードは中程度です。国産車なら十分使用に耐えますが、ドゥカティの様なシビアなエンジンには不適です。壊れる心配はありませんが、高級車の本来の性能を味わいたい方はリッター3,000円以上はするオイルを自分で入れましょう。

 

レッドバロンの待遇面

待遇面は一般的な会社に比べればキツいですが、バイク業界としては良い方です。そもそも利益率の低い業種なので社員一人一人が必死に働かないと人件費が捻出できないので仕方ありません。

規律はかなり厳しいです。私が在籍していた当時は「サロンパス」という名前の、啓発のプリントがあちこちに貼ってありました。
その内容は、設備の使用手順、技術の指南、社員のあるべき姿や売り上げを達成する方法、清く正しい生活をしなさいといったもので、タバコ一本あたり寿命が何秒減るといったコラムまでありました。
寮のポットにも余さずサロンパスが貼ってある始末で、その束縛感たるや並大抵ではありません。

寮費は非常に安いので生活面でありがたいのですが、私は駅の近くに部屋を借りて早々に一人暮らししました。

その他、残業代がでるかどうかや、残業時間などは店舗によって違うようです。
全店直営だったと思うので、待遇面では全店共通であるべきなのですが、そのあたりは店長の裁量でばらつきがあるようです。
どんな会社でもそうですが、売り上げが低いのに残業代が多い店舗は本部からの指導の対象になるので、その辺りで社員にサービス残業をさせるのでしょう。(私の居た店舗ではダラダラ残業やサービス残業はありませんでした。)

そのような店舗が存在する根拠はありませんが、ネット情報を見る限り一定数はあるかもしれません。
同様の不条理は他のサービス業でもしばしばあるので、ある程度は覚悟するなり本部に通告するなりした方が良いでしょう。

少子高齢化による人材減少、整備人口の衰退が進んでいる昨今、社員と会社の立場の差は以前よりも確実にフラット化していると思います。会社への要望はため込まずに体を張って訴えましょう。

レッドバロンの研修施設

間違いなく言えるのは、「レッドバロンの研修施設は大企業クラス」ということです。
現地に行き、施設の外から写真を撮ってきたので詳しく紹介します。
尚、文面の内容は私が在籍した2005年当時のものなので現在の体制とは異なっているかもしれません。
当時の社長と研修施設の校長は厳しい方でしたが、現在は人も違っているでしょうからもっと優しいかもしれません。

新入社員はまず、この施設に配属されます。
場所は愛知県岡崎市明見町。レッドバロン本社から車で山奥に入ったところにあります。
ここでは営業の基礎から整備士としての技術・知識・心得をきっちり学ぶことができます。

画像に移っているのは施設全体のほんの一部。
この奥の広大な敷地に、ありとあらゆる建物があり、長期間宿泊できるように寮や食堂、スーパー銭湯並みの広さを誇るお風呂もあります。

入口の門の溶接部分。
かつてこの施設を建設するとき、業者の溶接クオリティに対し「この技術では当社の門に相応しくない」と責任者が要望を出し、再度溶接し直させたという逸話があります。
今回写真を撮りに訪れて初めてマジマジと観察しましたが…..(´・ω・) な感じです。

 

施設の奥側が道路から見えます。
これは整備工場で、バイク用としては類を見ない規模です。
中には何十台というバイクが整備用リフトに乗っており、あらゆる専用設備が整っています。
新入社員は充実した設備や工具で、正しい技術を学ぶことができる体制が整っています。

木の生えている向こう側に、販売店払い下げの2tトラックが何台もあり、バイクをレッカーする際に荷台に積み込む練習や、トラックの運転訓練をすることができます。
当時のトラックは重ステで、バック駐車の練習をするのに苦労した覚えがあります。

 

こちらは宿泊施設。
中には100人以上分のベッドや個室、勉強用の大部屋があります。
すべての部屋でエアコン完備で、大浴場もあり快適に過ごせます。
周辺は静かな山里で、テレビ等の娯楽や外泊一切禁止なので都会で疲れた心を静めて勉強に専念するのに最適な環境です。
敷地内は完全禁煙。大自然に囲まれ規則正しい生活を叩き込まれるのであらゆる病から解放され、研修を終える頃には健康体になっているでしょう。
もちろん研修期間中もお給料が支給されます。お金を使うことも無いので貯金もシッカリできます。

施設のベッドには布団がありません。入所時には自宅の布団を宅急便で送る必要がありますが、それ以外は全て不要です。
しいて言うなら、それ以外に必要なのは不屈の精神力でしょうか。
私は精神力が軟弱だったのでラジオを持ち込み、極低音量で聞いて精神バランスを保っていました。
当時流行っていたジェームス・ブラントの「You are beautiful」をヘビロテで聞いていたので、その曲を聴くと今でもフラッシュバックします。

 

こちらは食堂。
といっても食事を作ってくれる職員さんはおらず、基本的には自分たちで協力して自炊します。
おかずは送られてくるので、ご飯を大釜で炊いて味噌汁を温めるだけです。
たまに「ナムチャイ」というタイ料理店からおかずが贈られてくるので、それが唯一の楽しみです。

当時、同期に東北出身者がおり、その人が「日本昔ばなし」ばりの大量の米を茶碗に盛ってくるのに閉口したことがあります。
しまいには早朝の朝ごはん時にも容赦なく大盛ご飯を突き付けてくるので喧嘩してしまいました。
彼の名前には「米」の字がついていたので、私の中でのあだ名は「ヨネ」でした。
実際に顔が米粒のような輪郭で、同じ歳なのに頭部が気の毒なくらい後退していました。

晩御飯は唐揚げ弁当山盛りが好きでした。今までの人生で一番食べていた時期かもしれません。

コーラも50円だったかな?非常に安い自販機があるので飲み放題です。
チープで癖が無く、罪悪感を程よく打ち消す味わいでした。

 

施設の脇には美しい清流が流れています。
都会出身者がこの施設に配属されたら、この自然の豊かさに一周回って笑えてくることでしょう。

さきほどの「ヨネ」曰く、「地元の川の方がもっと綺麗だ」と怖い顔で言っていました。
どんだけじゃ!

 

施設から徒歩30分程のこちらの売店で買い出しができます。
休みの日しか来る時間はありませんが、施設暮らしが長いとオアシスに見えてくるでしょう。

この雄大な農道を歩き続けると、そのオアシスにたどり着けます。
ルートは先輩から後輩へ。子々孫々と伝えられます。

 

この施設から脱出するバスの時刻表です。
本宿駅まで行けば、電車で都会まで羽を伸ばせるでしょう。

皆、休みの日は朝早くから施設を抜け出したものでした。
しかし、当時は外泊禁止だったので、シンデレラのように夜には舞い戻らなくてはいけませんでした。

「陸の孤島」という言葉を身に染みて味わう生活でした。

 

研修施設での日々

当時の施設での生活は非常に印象的でした。
あれから15年経った今でも当時のことを昨日のことのように思い出せます。
あれは2005年、愛知万博が閉幕した後の冬でした。
記録的な寒さが愛知県を襲い、施設も雪と氷に閉ざされているなか、21歳で社会を知らない子供同然の私は鍛えられたのです。

 

早朝に起床します。
起きたら食堂に集まり、自分達で食事の用意をします。
大盛の炊き立てご飯に味噌汁、各自で持ち込んだおかずで朝から満腹になります。
当時の私は精神的に参っていて拒食症状態でした。
これではマズいと思い、魔の朝食を乗り切るために夜明け前に起きて敷地内をジョギングしてお腹を空かせるようにしていました。
結果的に体が健康になり精神も晴れて、1か月後には毎朝大盛ご飯をモグモグ食べることが出来るようになりました。

朝の掃除

朝食後は施設内の掃除です。
外の落ち葉を竹ぼうきで掃いていると、爽やかな気分になります。
基本的に職場の掃除が好きなタイプなのでお気に入りの時間でした。

朝礼

掃除が済んだら全力ダッシュで寮のエントランスエリアに集合します。
整備士は、現場では仕事を速くこなせることを求められます。迅速に行動する癖を身に染み込ませる為、施設内での移動は全て全力ダッシュする決まりになっています。
おかげで今でも仕事が忙しいときは小走りになる癖がついています。

エントランスでは研修生全員がきっちりと整列し、校長が出勤してくるのを神経を張り詰めて待ちます。
私語は決して許されません。
校長殿が来られたら各自大声で点呼し、朝の掃除の成果を報告します。
校長の「今日も一日頑張りましょう」の一言で全員90°お辞儀し、「よろしくお願いします!!」と大声で合唱して一日が始まります。

実際に見たことがあるわけではありませんが、自衛隊や刑務所のソレを連想します。
全員丸坊主でないのが不思議なぐらいでした。

当時のことなので、今は違うでしょうね。
研修生の声のでかさに校長が若干引いてたし…

講習

午前中は講堂で座学です。
内容は、例えばフロントフォークのオーバーホールやタイヤの修理方法など、ありとあらゆる科目があります。
バイクいじりが趣味の人からしたら夢のような時間に思えるかもしれませんが、それは趣味だからです。
仕事として学ぶので、きっちり吸収しなくはいけませんし、興味が無くて読み飛ばしたい項目があっても避けてはなりません。
もちろん学科テストもあるので学校同様です。

学科的な内容だけでなく、理念や思想、心構えもみっちり叩き込まれます。
朝礼時の統率力もこの授業の賜物です。
当時は変な宗教に洗脳されているのではないかと思っていましたし、私自身施設を出るときには完全に会社に染まっていました。

 

でも、今から思えば社会人として働くのに大事なことや当たり前のことを教えてもらっていたのだと思います。
自分の仕事に責任を持つということ。自己研鑽が何よりも大事だということ。
社会人として働くために必要なことを学ぶことができました。

昼食

午前中の座学が終わったら全力ダッシュで食堂に行き、ストーブに火をつけ支給弁当を食べます。
食堂は広く、食べるときに暖房をつけるので極寒です。

皆、歯と箸をガタガタ振るわせて昼飯を口に詰め込んだものです。

てか、移動時に全力ダッシュなのは寒かったからだと思います…

実技講習

午後からは整備工場に移動し、学科で学んだことを実技で実践していきます。
例えばフロンフォークのオーバーホールですと、整備用のバイクリフトの上にバンディット250が一人一台あり、部品を外して分解しシールとオイルを交換して組みなおすといった具合です。

これを延々と繰り返し、作業が無意識でもできるように体に手順を叩き込みます。
タイヤ交換の授業ですと数時間の間に何十回と作業を繰り返すことになります。
最初は時間がかかりますが、整備経験の無い素人でも終盤には数分でタイヤ交換できるようになります。

タイムトライアル

通称「T・T」と呼ばれる魔の時間です。
先ほど実技で学んだ作業を一日の終わりにタイムトライアル方式でテストします。

先ほどのフロントフォークのオーバーホールですと、作業台の上にフロントフォークが一本置かれていて、これを分解、修理、組み立てまで完了する時間をストップウォッチで測ります。

研修とはいえ、皆真剣です。
いわば実技試験のようなものなので開始前にはピリピリと張り詰めた空気になります。

全員作業台の前にスタンバイし、校長の「始め!」の掛け声で一斉に作業にかかります。

皆、一日をかけて反復練習した作業なので迷うことなくすごい勢いで部品を分解していきます。
私語なんてあろうはずがありません。
真剣な空気が漂う中、皆の作業音だけが広い工場に響きます。

作業が終わったものは右手を高く上げ、「完成検査お願いします!!」と大声で申告します。
ちなみに、声が小さいと校長に「もっと大きな声で!」と喝を入れられます。

校長が組み終えた部品の出来をチェックし、合格したら「○○さん、〇分〇秒!」と言われます。
早く合格した者はその場で直立不動。全員が合格するか、制限時間を回るまでその場を離れてはいけません。

私は16歳からバイクいじりをしていたこともあり、たいていは時間内に合格し見守る側でした。
でも皆が皆、器用に作業をこなせるわけではありません。
特にヨネは知識が非常に豊富な反面、作業は苦手なようでした。
フロントフォークのオーバーホールのときなんて気の毒に、最後の一人になってしまいました。

皆が見守る中、必死に作業するヨネ。
迫る時間と視線がプレッシャーになり、手順を間違えてミスしてしまいます。

組み立てては失敗し、完成検査をお願いしてはやり直しになり…

広い工場にはヨネの作業音だけが虚しく響きます…

ふと気が付くと、ヨネの顔が真っ赤になっています。
「ヤカンのような」という形容がピッタリなぐらいで、真冬に人間の頭から湯気が昇っているのを初めて見ました。

そして制限時間になり、校長の「そこまで…」という少し寂しそうな声がヨネにかけられました。

健闘を称える表情をする者、
悲しそうな目をして俯く者、
皆無言ですが、ヨネの頬を伝うものは汗か、涙か…
その両方だったと、私は思います。

レッドバロンの研修は凄い真剣なのです。

 

研修後

タイムトライアルが終われば片付けを済ませて、晩御飯です。
炊き立ての山盛りご飯二杯を熱々の味噌汁と唐揚げで流し込みます。
大人になって色々なご飯を食べ来ましたが、あの時ほど美味しいと感じた晩飯はなかなかありません。

真剣に一日勉強して体を動かすとお腹が空くのですね。

夕食後は大浴場で汗を流します。
温度が高くて気持ちいいお風呂でした。(尚、風呂掃除も当番制で自分達で行います)

その後は勉強室で自習します。
勉強室には壁一面にあらゆるバイクの情報が書かれたプリントが貼ってあり、本棚にはサービスマニュアルが並んでいます。
さながら学生並みに皆勉強していますが、日中よりは緊張感も和らいで談笑しながらお互いに教えあったりします。

自習後は外出以外は自由です。
仲間の部屋に集まって夜通し語り合うも良し、静かに部屋で過ごすも良し。
唯一テレビのあるリビングでコーラを飲んでくつろぐのもOKです。
(ただし、テレビの電源をつけてはいけない。という暗黙ルールがあったので、もはや飾りと化していました)

部屋は一人一室。
六畳間程の広さにパイプベッドと暖房、クローゼットがあります。
冷蔵庫はありませんが、クローゼットの中は冷たくなるので冬は不要です。

自室の暖房はよく効きます。一日寒い思いをした分、部屋は暖かくてホッとします.

まさに一日中勉強付けの毎日でした。
これ以外にも構内でのトラックの駐車練習、バイクの取り回し(手押しで車体をバックさせたり、コーンを立ててスラロームしたりします)、バイクを人力でトラックに載せてロープで縛る練習をすることもあります。
真冬の凍結した路面で走ってバイクをトラックに載せるという荒業をしたのは、後にも先にもあの時だけです。

整備士として働くのに必要なことは他にもあります。店頭での接客、工賃の説明、バイクの故障を客に伝える技術、「工数」や「レバレート」等、業界用語への理解。
勉強するのは整備の技術だけでなく、事務的な業務に関することまで基礎から勉強できます。

 

休日

休日は、販売店(配属後の現場)に合わせて平日休みとなります。
それでも週休二日なので、一般的なバイク屋さんでの勤務に比べたら緩い方です。

当時、二日ある休みの内「一日は英気を養い、もう一日は自己研鑽せよ」と教えられました。
一日は悠々自適に休んで心身リフレッシュし、もう一日の休みは勉強に費やせ。というものです。

確かに、休日に仕事の勉強をすれば数年で一人前の整備士になることが出来ます。
「勉強」と言っても、業界的に元々遊びの分野を扱っているので、例えばツーリングしたり自分のバイクを整備したりバイク雑誌を読んだりして、仕事を趣味として遊ぶ時間を持つだけでも立派な自己研鑽になります。

研修所では、休日になると皆、朝早くからバスで外出して遠方にある駅まで行き、それぞれ名古屋や岡崎市の街中へ繰り出したりします。
行動は自由なので自然の中でゆっくりしたい人は近所に留まったり、自分のバイクを持ち込んでいる人はツーリングしたりします。
私は、当時交際していた人と東岡崎駅で待ち合わせて食事したりしていました。

外泊は禁止で、バスの最終も早いので夕方には引き返さなくてはいけません。
休日に恋人に会う喜びよりも、山奥の施設にすぐに帰らなくてはいけないという現実が重く、精神的には大分参っていました。

もう一日は自己研鑽ルールのせいで外出する人は少ないです。
もちろん行動は自由ですが、暗黙の了解?で遊びに出難いのです。

 

ほとんどの人は施設に留まりますが、勉強している風を装うため、みんな自室で息を殺しています。

外はシンシンと雪が降っています。

部屋は暖かいです。

静かです。

あれ程落ち着いた時間を過ごした休日はその後ありませんでした。
田舎暮らしをするとこうなのかな?と思いますが、テレビも娯楽も無く、暖かい部屋から雪を眺めて過ごすことはもう無いでしょう。

 

研修満了までの道のり

近くに神社があります。

私は休日にこの神社に通って「早く卒業できますように…」とお祈りしたものです。

新人研修は3か月経てば現場配属、というわけではなく、色々な要素を満たした者から卒業できる仕組みになっているようです。
少なくとも3か月は研修施設でお世話になる必要があるようですが、本人の学習レベル、サービス業への適正、希望、会社に染まっているか、現場(販売店)の人員状況、等々色々な要素があるようでした。

私は閉鎖的で不自由な研修生活に嫌気がさし、いつ出られるか分からない施設から早く出たいと願っていました。

その後3か月経つころ、願いが通じたのか先輩よりも先に現場配属が決まり卒業できることになりました。

施設を出る日は荷物と共に人事部の方の車で最寄り駅まで行き、布団などの大荷物は配送し、手荷物だけ持って直接配属先の店舗まで公共交通機関で移動します。

施設を卒業した日

施設を出るその日、荷物をまとめ終わって3か月過ごした自室は空っぽになりました。

1階から、迎えに来た方の私を呼ぶ声がします。
部屋を後にしようとしたとき、フと後ろ髪が引かれて自室に向き直りました。
私は今までお世話になった暖かい自室に頭を下げ「ありがとうございました!」と言いました。

施設暮らしは辛いこともありましたが、色々と勉強になり精神面も鍛わりました。

 

研修施設の唯一の常駐教官&管理人である校長は厳しい人でした。
恐らく、人事異動で今では違う方が務めていらっしゃるでしょう。

ある日の晩、私は校長の事務所に呼ばれ言われました。
「心はどこにあると思う?」
「頭です。」
「だからおまえは理屈っぽいんだよ!いいか、心はな、ここにあるんだよ!」
と、校長は自身の胸に手をどっしりと当てて叫んでいました。

ある別の日、講堂の夜間戸締りを確認していたところ、
「わあっ!」
と、校長が後ろから大声で脅かしてきてビックリして逃げ惑ったこともありました。

厳しい人でしたが、研修生の教育に懸命な優しい人だったんだろうと、今では思います。
あの時は「何を言ってるんだか…」と思って聞いていましたが、人生で大切なことは校長から教えてもらった気がします。

 

現場に配属された私は、店長に「よろしくお願いします!」と施設ノリで大声あいさつをしました。
普通の人である販売店の人々を驚かせたのは言うまでもありません。

期待の新人としてデビューした私でしたが、いくら16歳からバイクいじりをしてて研修施設でみっちり勉強したとはいえ、現場はそんなに甘くありません。
自分の技術や知識は全く通じず、ことごとく失敗し先輩やお客さんに迷惑をかけました。
さらに、現場の雰囲気は施設の統制されたものとは全く違い「普通」です。

そのギャップと、自分が必死で身に着けたものが通じない辛さから、私はいつしか鬱状態になりつらい日々を過ごしていました。

結局、入社から一年程で退職し、オーストラリアに旅に出ました。

その後色々あり、二度とやらないと決めたバイクの整備を仕事にし今に至ります。
あの施設で学んだことは、今でも私の技術の基礎にあります。

 

これからバイクの整備士を目指す方は、レッドバロンで新人研修を受け、基礎と心構えから学ぶことをお勧めします。

 

 

 

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元・バイクの整備士→現・自動車の開発に携わっています。 70年代国産車(いわゆる旧車)専門のメカニックを経てドゥカティのディーラーで勤務。 キャブレターから最新の電子制御まで、幅広い分野の知識を持っています。 全てのバイク乗りにお役立ちの情報を公開します。
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